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東京地方裁判所 平成4年(ワ)5948号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、五五六一万九七九三円及び内金五〇六一万九七九三円に対する平成元年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、終身型一時払いの変額保険に加入した原告が、右変額保険に加入したのは、生命保険会社従業員の説明義務違反等の違法な勧誘によるものであるとして被告の不法行為責任を主張し、支払保険料から解約返戻金を控除した残額等の合計五五六一万九七九三円及び内金五〇六一万九七九三円(弁護士費用相当損害五〇〇万円を控除)に対する不法行為の日(保険金支払日)である平成元年一一月二一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1 原告は、大正二年二月一七日生まれの無職の男性であり、被告は、生命保険業等を営む相互会社である。

2 原告の長男甲野一郎(以下「一郎」という。)は、原告名義の一五〇坪の土地上において、製函を業とする有限会社乙山紙工を経営し、原告、妻及び二名の子とともに同居生活をしていた。

3 一郎は、平成元年九月ころ、原告名義の前記土地の地価が著しく急騰しているために相続税のことが心配であるとして会社の税理士に相談したところ、同税理士から、節税対策としては保険を活用する有効な方法があるとのアドバイスを受けた。そこで、一郎は、妻花子の妹で被告会社の営業員である丙川松子(以下「丙川」という。)に右話を持ち込んだ。

4 そこで、原告は、被告から三億円と評価された右不動産の相続対策として、銀行からの借入金をもって被告との一時払変額保険(終身型)の保険料の一括払込みに充てることにより節税を計ることとし、平成元年一一月一六日、東海銀行新小岩支店から前記原告名義の不動産を担保に極度額二億二〇〇〇万円の根抵当権を設定し一億二三〇〇万円の融資を受けるとともに、被告に対して、次項5の変額保険契約の申込をなした。

5 原告は、平成元年一一月二一日、前記融資金の内から一億二一二七万一〇〇〇円を保険料として一括して支払い、同年一二月一日、被告(千代田支社内幸町営業所)との間に、次の四件の一時払変額保険(終身型)契約(以下「本件変額保険」という。)を締結した。

〈1〉 保険証番号 《略》

契約者 原告

被保険者 原告

保険金受取人 甲野一郎

一時払保険料 三七七八万八〇〇〇円

保険金 変動(ただし、五〇〇〇万円の最低保証)

解約返戻金 変動

〈2〉 保険証番号 《略》

契約者 原告

被保険者 甲野一郎

保険金受取人 原告

一時払保険料 三七九九万五〇〇〇円

保険金 変動(ただし、一億円の最低保証)

解約返戻金 変動

〈3〉 保険証番号 《略》

契約者 原告

被保険者 甲野花子(一郎の妻)

保険金受取人 原告

一時払保険料 二八〇四万四〇〇〇円

保険金 変動(ただし、一億円の最低保証)

解約返戻金 変動

〈4〉 保険証番号 《略》

契約者 原告

被保険者 甲野春夫(一郎の長男)

保険金受取人 原告

一時払保険料 一七四四万四〇〇〇円

保険金 変動(ただし、一億円の最低保証)

解約返戻金 変動

6 原告は、平成三年六月、丙川から本件変額保険の運用が悪く元金が戻らない状態であることを聞かされ、同年一〇月二三日、本件変額保険契約を解約し、次のとおり、合計九三三六万八四八一円の解約返戻金を受け取った。

〈1〉の保険 二九五五万九一一二円

〈2〉の保険 二九六八万一九二六円

〈3〉の保険 二一五二万二七四五円

〈4〉の保険 一二六〇万四六九八円

二  争点

1 被告従業員の本件変額保険勧誘時の説明は不法行為に該当するか。

(原告の主張)

原告が本件変額保険に加入するについて、被告の千代田支社内幸町営業所の所長であった丁原松夫(以下「丁原」という。)は、変額保険販売無資格者であった営業員丙川をして説明に当たらせ、また、最低でも九パーセントの運用実績が保証されているので、保険に加入しても絶対に損失を被ることのないことを保証するかのような説明をなした。しかも、原告は、運用実績とローン金利とは同様のものと理解していたが、実際は金利が六・二パーセントであるとしても、運用実績が八パーセントに低下すると、節税効果としての実質メリットはなくなるというような運用実績と金利との区別についての説明を全く受けなかった。

原告としては、変額保険に加入することにより直面する可能性のある危険性を一パーセントでも想定できる説明を受けていれば本件変額契約のような危険な保険契約を締結することは絶対になかったのであり、終始このような危険性を微塵も感じさせない説明を受けたことにより、本件変額保険が絶対安全な保険であると誤信させられて契約を締結したものである。

以上のとおり、原告がこのように真意に反して本件変額契約を締結したのは、本件契約担当の責任者であった千代田支社内幸町営業所長丁原の前記のような説明義務違反による不法行為に基づくものであるので、被告は民法七一五条の使用者責任に基づいて原告の被った損害を賠償すべき義務がある。

2 被告の賠償すべき損害賠償の範囲

(原告の主張)

原告が、本件変額保険を締結したことにより被った損害は次のとおりであり、合計五五六一万九七九三円となる。

〈1〉 支払保険料一億二一二七万一〇〇〇円と解約返戻金九三三六万八四八一円との差額 二七九〇万二五一九円

〈2〉 登録免許税 八〇万円

〈3〉 調査費等 一六万七二七四円

〈4〉 金利(ただし、平成四年二月末日現在) 二一七五万円

〈5〉 弁護士費用 五〇〇万円

第三  争点に対する判断

一  時代背景について

本件紛争の原因となった時代背景を概観すると次のとおりである。

1 日本経済は、昭和四八年秋の第一次石油ショック、その後の第二次石油ショック、急激な円高等を乗り越えて急成長し、昭和六二年一〇月一九日の月曜日(ブラックマンデー「暗黒の月曜日」)に、ニューヨーク株式市場のダウ工業株三〇種平均が一気に五〇八ドル、率にして二二・六パーセント下落した。これは、一九二九年世界恐慌の発火点となった昭和四年一〇月二八日「暗黒の木曜日」の下落率一二・八パーセントをはるかに下回る大暴落となり、この影響は翌日の東京市場に直ちに現われ、日経平均株価が一日で三八三六円四八銭、率にして一四・九パーセント下落した。このような下げ幅、下落率は株式市場始まって以来の暴落ぶりであり、全世界に大恐慌到来かとの危機感が募った。

2 しかし、東京市場はその翌日である昭和六二年一〇月二一日には前日の値下がり分の七割を一気に回復し、日本では恐慌とは逆に大好況へと進み、これと歩調を合わせるように、早くも翌六三年三月初旬には暴落前の水準(二万五七四六円五六銭)を上回り、ブラックマンデーは一時的な混乱に終わり、その後の株価は、同年一二月七日には三万円台に乗せ、平成元年に入っても八月一六日には三万五〇〇〇円台を突破し、同年の大納会では三万八九一五円八七銭となるなど、株価はほぼ一本調子の右肩上がりの上昇を続けていた。

3 その間、地価は、国税庁が平成元年一月二七日に発表した平成元年分の課税基準となる最高路線価格は二八パーセントの引き上げ率となり、国土庁が同年一月一日時点で調査した公示地価は大阪の住宅圏で三二・七パーセントの上昇を記録するなど、都市部を中心として著しい暴騰を続けた。

4 しかし、平成二年になると、年初の二か月で株式時価総額の八八兆円という国民総生産の四分の一近くが一瞬にして消失し、その後は、同年八月のイラクによるクウェート侵攻に始まる湾岸戦争が平成三年三月に終結しても株価は回復せず、今回は、従前の幾多のいわゆる経済危機では短期間に急激に景気・株価等が回復してきたのとはかなり異なった様相を呈しながら現在に至っている。

以上は公知の事実である。

二  変額保険について

《証拠略》によれば次の事実が認められる。

1 変額保険は、米国では昭和五一年から発売されており、日本でもかなり以前から関心を持たれており、保険審議会において昭和四七年及び昭和五〇年に審議され、「当面現行業法に基づき行政上の必要な措置を講ずることにより変額保険を実施しても問題はない。変額保険については、今後更にその実施につき積極的な検討がなされるべきである。」と答申した。その後、定額保険が順調に伸びたこともあり、変額保険の具体化は中断されていたが、昭和五九年六月に始まった保険審議会では、重要な審議事項の一つとして変額保険が取り上げられ、昭和六〇年五月の答申は、「最近の国民の金利選好の高まりや、高齢化の進展による生存保障ニーズの増大を背景として、変額保険へのニーズが高まっている。」と判断し、変額保険商品の開発・提供にあたっての具体的な参考例を提示した。

2 この答申を受けて、生命保険業界は、業界統一商品の開発に取り組むとともに、募集体制や教育試験制度等について検討を進め、行政面でも、特別勘定(分離勘定)設置の根拠を定める等の保険業法施行規則の改正、資産評価に係る税務法規の改正、募集、教育関係の諸通達の整備等具体的な準備がなされ、昭和六一年七月一〇日、国内社を中心に、被告を含む一八社に変額保険の商品認可が行なわれた。そして、同年一〇月から変額保険の営業が開始された。

3 変額保険は、遺族の生活保障という社会的責任を持つ生命保険の役割に鑑み死亡保障については保険金額に最低保証を設けてはいるものの、その資産を主に株式や債券などの有価証券に投資し、その運用成果に応じて保険金及び解約返戻金が変動する仕組の生命保険であることから、〈1〉保険金が将来の運用実績に変動すること、〈2〉資産運用は一般勘定と分離して特別勘定を利用して行ない、そのリスクを契約者が負担すること、〈3〉死亡保険金及び解約返戻金についての金額保障のないことなど、従来の定額保険にはない特徴を持っている。

4 このように、変額保険は資産運用リスクを契約者に負担させる保険であるために、定額保険以上に慎重な募集対応が必要であるとして、大蔵省は、昭和六一年七月一〇日付蔵銀第一九三三号通達「変額保険募集上の留意事項について」を各保険会社に発出した。この通達に定める変額保険募集上の禁止行為は、〈1〉将来の運用成績について断定的判断を提供する行為、〈2〉特別勘定運用成績について、募集人が恣意に過去の特定期間をとりあげ、それによって将来を予測する行為、すなわち、生命保険募集人が特別勘定の運用実績について、自社よりも低い特定会社と比較したり、自社の有利な特定期間のみを取り上げて説明するような行為、〈3〉保険金額(死亡保険金の場合には最低保証を上回る金額)あるいは解約返戻金を保証する行為であり、これに違反があるときは、業務停止、生命保険募集人登録の取消しなどの行政処分、更には、懲役、罰金などの刑事罰の適用も受けることとされている。

三  節税対策としての変額保険の利用

《証拠略》によれば次の事実が認められる。

1 変額保険は、当初は、利回りの良いことで人気を集めていたものの、節税には利用されておらず、一旦は下降線を辿っていた。

2 しかし、前記のとおり、不動産価格の著しい急騰により、不動産資産は多いが納税資金としての金融資産を持たない層にとっては、相続税の支払をするために相続した不動産を売却しなければならないような事態が現実化し、相続税の節税対策が深刻な問題として意識されるに至り、そのための有効な対策として巨額掛金による相続税対策を講じることで脚光を浴びることになった。

3 そして、この相続税対策として最も効果的であるとして広く喧伝されていたのが、一時払い養老保険とともに終身型の一時払変額保険方式の契約であり、この変額保険には二種類のプランがあるとされていた。

第一は、被保険者を資産家本人とする「納税準備プラン」であり、相続が発生すると遺族に死亡保険金が支払われ、遺族は保険金の内から借入金の元利合計を返済し、残額を相続税に充てるものである。

第二は、被保険者を資産家の家族とする「財産評価引き下げプラン」であり、保険金は支払われないが、借入金とともに生命保険の権利が法定相続人に移り、契約者が死亡した場合には、一時払いの生命保険の権利評価は、相続税法上、一時払保険料によるものとされているため、相続発生時には、マイナスの財産である借入金は大きく膨らんでいるのに対し、プラスの財産である保険の権利評価額は将来も変わらないことになり、その差額分だけ他の不動産等の財産の評価を減らすことができ、この結果、相続税の節税が可能となるものである。この場合、余裕資金を一時払い保険料を自己資金として支払ったのでは、死亡保険金が入ってくればそのまま相続財産に加算されて相続税が増額してしまうので節税対策にならず、節税効果を上げるためには保険金の支払を借入金によって行なうことが必要となる。

4 生命保険協会の発表によると、昭和六一年一〇月の発売開始時から平成元年三月末までの変額保険の契約状況は七四万二〇〇〇件(前年同期六五万四〇〇〇件)、七兆五〇〇〇億円(対前年比一三・八パーセント増)となっており、平成元年末ころには、相続税の納税資金確保と節税を兼ねる変額保険の人気が加熱気味となり、外資系の生命保険会社が販売を自粛するなどの動きも出て、株式を中心に運用する保険であるだけに、景気が後退し、株式市場が冷え込めば運用実績が上がらず解約返戻金は戻らず、また、株式が大暴落するような事態が起きれば全ての計画が大きく崩れることがあるとの報道もなされるようになっていた。

四  本件変額保険契約締結に至る経緯

《証拠略》によれば次の事実が認められる。

1 一郎は、製函を業とする有限会社乙山紙工を経営し、これにより生計を支え、原告、妻及び二名の子とともに同居生活をしていた。同社は、原告が昭和一一年七月に個人営業として開始し、昭和六二年に有限会社組織となった会社であり、昭和三〇年当時に敷地を担保に東京都から工場設備改善資金を借入れた以外は、借金らしい借金もせずに堅実な経営を続けてきた。しかし、地価が異常な高騰を続け、原告の年齢が当時七六歳と高齢であり、原告の妻も昭和五八年に既に死亡しており、相続人は自分と妹の二人のみであったため、仮に相続が発生すると右工場の敷地である原告名義の一五〇坪の土地の評価額が最近の五年間だけでも二倍程度まで高騰しており、相続税の問題は早急に解決すべき深刻な現実的課題として認識されていた。

なお、前記のとおり、原告は高齢でもあったため、本件変額保険締結に関して説明を受けるなどの行為は一郎が行なっていたが、これは原告の意向を受けてなされたものであって、一郎の行為がすなわち原告の行為であるとする関係にあったことについては当事者間に争いがない。

2 実際に、近所でも相続税を払い切れずに土地の半分以上を手放したりしていた事例を目の当たりにして、一郎は、このままの状態では工場を手放す事態にもなりかねないとして、このような事態を回避するための具体的方策を真剣に検討し、平成元年九月になり、会社の顧問税理士にも相談をしたところ、同税理士から、節税対策としては保険を活用する有効な方法があるとのアドバイスを受けた。そこで、一郎は、同じ節税対策のために生命保険に加入するのであれば、一郎の妻の妹である丙川が生命保険会社である被告に勤務していた関係で被告会社の保険に加入しようと考え、丙川にこの話を持ちかけた。

3 丙川は、一郎から相続対策としての保険加入の話を聞き、営業所長であった丁原に相談したところ、原告所有の不動産は約三億円の評価額があるので、これについて相続税の節税を計るためには一時払変額保険(終身型)が有効であるとの提案を受け、一郎に対して、電話連絡等により、丁原から受けた説明内容をもとにその内容について説明をした。

なお、丁原が丙川に対する説明用として作成した相続対策プランの概略説明書は、払込保険料四六〇〇万円を加え、税額控除の一〇〇〇万円を控除しなければならないところ、この処理がなされておらず、丙川が丁原からなされた説明に基づく変額保険に対する理解は、この意味で正確性に欠くものであった。

4 丙川は、一郎と何度か変額保険について電話で連絡を取り合っていたが、平成元年一一月一二日、本件変額保険に関する設計書が出来上がったため、翌日の原告宅訪問に先立って、原告宅にあらかじめファックス送信をした。この設計書には、「この保険は運用実績に応じて保険金額が変動します。したがって、……保険金額は上下し、一定ではありません。」と記載され、更に、理論的な可能性として、その運用実績表には九パーセント、四・五パーセント、〇パーセントの場合の保険金、解約返戻金の額が例示されており、「変額保険は、保険金額・解約返戻金が変動するしくみの保険です……この例表の数値は……運用実績および配当実績により変動(上下)しますので、将来のお支払額をお約束するものではありません。」と明記されていた。

しかし、その当時は、前記のとおり株価がまさにピークに達しようとしていた時期であったため、変額保険の運用実績は一一パーセントを上回っており、被告の内幸町営業所内でも、「九パーセント以下の運用などは考えられないのであるから、九パーセント以下の運用欄は削除すべきではないか。」との意見を述べる者さえあり、九パーセント以上の運用実績が上げられるのは当然であって、ましてや〇パーセントを下回りマイナスになるなどということは、所長の丁原を始めとして誰一人考えてもいなかったので、運用実績表に記載された四・五パーセント、〇パーセントなどは、単なる理論上の数値であると認識されていた。

5 丙川は、右設計書をファックス送信した翌一三日、自分が変額保険販売資格を有していなかったため、右資格を有する戊田竹夫(以下「戊田」という。)とともに原告宅を訪問した。

そこで、丙川と戊田は、一郎に対し、運用実績として九パーセント、四・五パーセント、〇パーセントの場合を想定した右設計書とともに借入金利が六パーセント、運用実績が九パーセントであることを前提として作成された計算書であるRITプラン試算表(これによれば、甲一における前記の誤った内容は訂正されており、また、甲一は一郎に対する説明には使用されなかった。)を示し、右当日の借入金利が六・二パーセントであったため、この点を修正した数値をもとにして変額保険の内容を説明した。

特に、モデル計算書の説明の際には、戊田が持参した一四パーセントの運用実績を上げていることを示す本社からのファックスのコピーを見せながら「モデル計算書は九パーセントの運用を前提とした記載ですが、現在は一四パーセントで運用されています。」として一四パーセントの運用実績が上がっていることを強調して説明した。

丙川と戊田は、約一時間原告宅に滞在し、この間、丙川が説明をした際にも、戊田は常に同席してこの説明内容を聞いていた。

6 右説明の際、一郎から、この相続対策はある程度の期間経過後に相続が発生することを前提とするものと思われるが、一年後に相続が発生したとしても損をすることはないかとの質問があったため、戊田と丙川は、前記のとおり一四パーセントの運用実績を上げているので、これによれば損をすることはないと回答した。

このような説明を受けたこともあって、一郎は、相続税の節税対策を行なうためには一般にも有効な方法であると認められていた本件変額保険に加入する意思を固め、その翌日には被保険者四名が保険加入のための健康診断を受け、本件変額保険契約書を作成し、以後、一億二三〇〇万円の銀行からの借入れ、保険金の一括払込み等の手続を滞りなく完了した。

五  本件変額保険契約における被告の説明義務違反等の有無

1 変額保険販売資格を有する戊田と同行し、丙川が説明をした際にも、戊田が常に同席していたことが認められるのであるから、原告は、無資格者による説明によって保険を勧誘されたとすることはできない。

なお、丙川は、一郎に対する事前の説明において、自分は変額保険の何たるかについては基本的なことも含めて全く理解していなかったので、全く誤った情報しか伝えることができなかったとする趣旨の供述をしている。

しかし、《証拠略》によれば、丙川は、甲田女子大学短期大学部を卒業後、昭和四六年八月から昭和五〇年三月までの三年八か月間、被告会社の保険営業員としての勤務した経歴を有し、昭和六三年一二月八日、再度被告に入社し、本件説明及び契約締結の直後である平成元年一二月六日に実施された変額保険販売資格試験を受験し、合格点七〇点のところ、八七・〇点という高得点により右試験に合格し、平成二年二月一五日に変額保険販売員として登録されるとともに、同日付けで右証明書が発行されたことが認められる。

このことからすると、丙川は、本件説明当時は確かに変額保険販売資格を有してはいなかったとはいえ、直後に変額保険販売資格試験を受験して合格しており、また、この当時は前記のとおり、高額の相続税負担を心配する高齢者等を中心として節税目的による一時払い方式の変額保険の有効性が喧伝されており、まさに、自分が姉家族の節税対策を目的とした変額保険の担当者として対応していたにもかかわらず、本件変額保険の内容について、少なくとも、運用実績の変動により保険金額・解約返戻金が大きく変動するものであることについてさえほとんど何の知識も有していなかったとは到底考えられないところである。

したがって、丙川が一郎に対してなした右説明当日及び事前の説明も、自己の理解したところを前提になされたものと思われ、変額保険が確定利付き商品であるとした説明をなしていたとは考えられず、借入れによる保険加入に対して不安を示していたことに対しては、現在の運用実績は好調であってこれが継続すると思われるので、そうであるとすれば心配はないとする趣旨の説明をしていたものと考えられる。

なお、当初、丙川が丁原から変額保険の仕組について受けた説明に使用された丁原作成にかかる相続対策プランの概略説明書(甲一)には、払込保険料四六〇〇万円を加え、税額控除の一〇〇〇万円を控除しなければならないところ、この処理がなされていない誤りが認められるが、これは、丁原が丙川に対する説明のために基本的な考え方を記載したものに過ぎず、一郎に対する説明の場では全く使用されていないので、甲一の記載内容に誤りがあったからといって、一郎に対する説明が内容虚偽のものであったことにならないことは明らかである。

2 原告は、戊田及び丙川からの説明により、変額保険は最低でも九パーセントの運用実績が保証されているので、絶対に損失を被ることのないことを保証するかのような説明をなされ、しかも、原告は、運用実績とローン金利とは同様のものと理解していたが、実際は金利が六・二パーセントであるとしても、運用実績が八パーセントに低下すると、節税効果としての実質メリットはなくなるのであって、このように運用実績と金利とが別物であるとの説明も受けなかったし、仮に、変額保険に加入することにより直面する可能性のある危険性を一パーセントでも想定できるような説明を受けていれば、本件変額契約の締結を絶対しなかったのであり、終始このような危険性を微塵も感じさせない説明を受けたことにより、本件変額保険が絶対安全な保険であると誤信させられて契約を締結したものであると主張する。

3 しかし、まず、運用実績と金利との違いについては、設計書にも記載されており、運用実績が特別勘定の資産の運用によってなされるものであり、運用実績表例により九パーセント、四・五パーセント、〇パーセントの場合の経過年数に応じた保険金と解約返戻金の額が例示されていることからすると、両者の違いについての説明はなされていたとみるのが相当である。

4 次に、九パーセントの運用実績に関する問題であるが、被告内幸町営業所の当時の運用実績に対する認識としては、丁原も、「二年前に株が暴落したことがあったので、暴落の可能性もあったが、当時の社会的なデータでは、戦後四〇年間のどの一〇年をとっても日経平均は一割位伸びていたと記憶しています。したがって、五年とか一〇年の単位で相続が発生したら、よもや今日のような株価の暴落は誰も想像していなかったと思います。」「運用実績がマイナスになるということは可能性があるとは思っていても、当時の状況からは、一年後にこのようになるとは想像もしませんでした。」と証言しており、これが前記のような経済状況を背景にした平成元年一一月当時における世間一般に通用していた一般的な見解であったというべきであって、内幸町営業所内でも、前記のとおり「九パーセント以下の運用などは考えられないのであるから、九パーセント以下の運用欄は削除すべきではないか。」との意見を述べる者さえあったことからすると、一郎に対する説明の際にも、「現在は一四パーセントで運用されている。」とする発言とともに、現実問題としては九パーセントを下回ることはないことを強調したような説明をしていたものと認められる。

しかしながら、一郎の証言によっても、今は一四パーセントで運用されているとか、RITプラン試算は運用実績を九パーセントと想定したものであるとの説明を受けたとしているのであって、九パーセントを下回ったときでも九パーセントまでは最低保証されるなどとする趣旨の発言がなされたとするような証拠は全くなく、また、前述した変額保険募集上の禁止行為に直接該当する説明がなされたことを認めるに足りる証拠もない。

また、一郎は、自ら有限会社の経営を行ない、その経営の将来のために真剣に相続税の節税対策を検討し、自分の経営する会社の顧問税理士にも相談した結果、自分の方から保険を活用した節税方法について丙川に問い合せたという経緯、及び節税方法として借入れを起こしてまで保険に加入するということについて当初は躊躇を覚えていたというのであるから、変額保険と名の付く保険に加入することにより、経済情勢の変動如何によっては損失を被る可能性のあることの理論的な認識を持った上、しかしながら、従前の経験からすると、今後とも今までのような経済情勢が継続するとの見通しのもとに、種々検討を加えた結果、その当時の節税対策としては最も広く脚光を浴びていた借入による変額保険加入を決断したものと考えられる。

したがって、戊田及び丙川の説明によって、単純に変額保険が九パーセントの運用実績が保証される確定利付きの商品であると誤解したために本件変額保険に加入したものとは考えられず、一郎は変額保険が株式の運用によってその実績の変動する商品であるとの理解を有していたものと認められる。

5 しかし一面において、本件は前記のとおり、被告の担当者の方でも事後的にみると将来予測について完全な見込み違いを犯した上で説明をなし、予測どおりにいけば節税対策として有効な結果をもたらし、しかも、そのことを確信して善意で本件変額保険を勧誘したところ、全く予想もしなかった事態が起きたため、原告に対して結果として大きな損失を与えてしまったという見方をすることができる事件である。

そして、確かに、契約当事者双方の予測違いに基づく結果に対する責任は、前述したように、平成元年末ころには変額保険の人気も加熱気味となり、外資系の生命保険会社では販売を自粛するなどの動きも出て、変額保険が株式を中心に運用する保険であるだけに、景気が後退し株式市場が冷え込めば運用実績が上がらず解約返戻金は戻らず、また、株式が大暴落するような事態が起きれば全ての計画が大きく崩れることがあるとの報道もなされていたような状況であったことも考慮すれば、法的責任という観点を別にした視点からは、少なくとも一個人である原告よりは大企業である被告の方が大きいとする見方も成り立つというべきである。

6 しかしながら、当時の経済状況のもとにおいて、被告の従業員である丁原や戊田が抱いていた経済見通しは、前記のような警告的な報道はなされてはいたものの、その見通し自体は客観的な根拠に基づいたものであったと評価し得るものである。そして、戊田及び丙川において、運用実績は経済情勢によって変動するものであり、これが四・五パーセント以下の場合には所期の節税対策が効を奏しないこと、また、運用が〇パーセントの場合においては、節税どころか借入金の負債のみが残り大きな損失を被る可能性のあることを、現実的には起こり得ないと確信してなした説明ではあっても、理論上の説明としてはなしていた以上、変額保険の理論的な危険性についての説明はなしていたというべきである。

したがって、当時としては一四パーセントで運用されていたという現実を強調した説明をなしたとしても、このことをもって不法行為責任を発生させるような法的義務違反の説明があったとまで評価することはできない。

六  結論

以上によれば、その余について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないので、主文のとおり判決する。

(裁判官 林 圭介)

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